2010-02-25 第174回国会 衆議院 本会議 第10号
民主主義は、少数決ではなく、多数決原理に立ちます。これは、多数が正しいと主張するのではなく、正しいことは多数が理解してくれるという、国民の良心に訴えるものです。 その判断に立った松本議院運営委員長の判断を尊重することなく、解任に訴えるなど、考えられないことです。 与党になった民主党と野党になった自民党、立場が逆になっただけで、やっていることは同じだという声を聞くことがあります。
民主主義は、少数決ではなく、多数決原理に立ちます。これは、多数が正しいと主張するのではなく、正しいことは多数が理解してくれるという、国民の良心に訴えるものです。 その判断に立った松本議院運営委員長の判断を尊重することなく、解任に訴えるなど、考えられないことです。 与党になった民主党と野党になった自民党、立場が逆になっただけで、やっていることは同じだという声を聞くことがあります。
ただし、これは大変厳格な規定ですので、この点はやはり良いとするか、あるいは憲法改正をもう少し柔軟に考えていくか、これは国民主権と相反する規定なんですね、要するに少数決ですので、国会の議決が、その点を御審議いただきたい。
そして、少数の方々が反対しているからこれは強行だと言ったら、昨日の小沢さんも、少数意見のばっかり聞いたら少数決になっちゃうと、過去、著書でも言っているわけです。議論をして違ったら多数決で決めるのが、これが議会制民主主義じゃないかと野党の党首も言っているんですよ。 そういう形で審議がなされ、質疑が終了したらば、私は採決をして多数決で決めるというのは別に強行とかいうものではないと。
日本の戦後政治は多数決の原理を無視あるいは軽視してきた、それが無責任な政治を生んでいる、政権党が両院で過半数を得て法案を成立させるために一部の野党に譲歩、妥協するのはいいんだが、満場一致になるまで譲歩せよという、これだったら、少数のだだっ子がいて、その子をなだめるために、言いなりになってすべて変えてしまうのはおかしいんじゃないか、満場一致どころか少数決であるというようなことも小沢さんの書に書いてあります
なぜならば、私の見る限り、自民党の総意ではない、そして少数決で、しかも国民の多くが理解していない内閣提出の六法案であるというふうに今のところは理解しているわけであります。 先般、残念ながら認められませんでしたが、私も郵政公社改革法案の提出者の一人でもありまして、そんな意味も含めながらも、そうはいっても、理解を深める意味で質問をさせていただきたいと思っております。
これは民主主義ではなくて、暴力的少数決の世界に入っている。おかしいと思います。
によって阻止をされておるというようなばかな状況を、私ども声なき国民の声を代表する者として、とても見るに忍びないわけでございますので、「むつ」に関しましても、エンタープライズは八基の原子炉で、何ノットでございましたか、一回ウランを注入すると地球を十何周とか、いまちょっと忘れましたが、大変航続距離が長いということを聞いておりますので、ぜひひとつ早期の御解決——いま国会の中を見ましても、私は多数決じゃなくて少数決時代
日本は、もう、このわずかな島国を、どうして——小さいものは、いまの国会でも、そうでございますが、多数決ではございませんで、少数決みたいな形に運営の上ではなっております。そういう形を見てまいりますと、小さいものが大きいものを動かす時代になっておる。たった、わずか二人か三人のゲリラが——特に、これも、外務省の態度が私はふしぎでなりません。